家系図コーチング® 山道紀子

山道 紀子 プロフィール
・一般社団法人人間力大学校認定 家系カウンセラー
・米国CTI認定 プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC)
・米国CTI認定 リーダーシップ・プログラム 修了
・日本総合カウンセリング 心理カウンセラー養成講座 修了



1982年、滋賀県彦根市で祖父母、両親、兄の家庭に生まれました。
髙橋家の本家で、江戸時代、日本橋を起点に伸びる五街道の1つ、中山道の63番目の宿場、鳥居本宿で脇本陣を営んでいました。参勤交代の際には、お隣の本陣(寺村家)にお殿様たちが宿泊し、脇本陣には家来さんたちが宿泊されたとか。そんな歴史ある家に生まれましたが、家には家系図はありませんでした。
今でも屋号として、寺村家のことを「本陣」と呼んでいたり、随所に重厚な家屋が残り、宿場の雰囲気が残されている地域です。
幼少期よりお墓参りに行く度に、祖父から「これは、おじいちゃんのお父さん。これは、おじいちゃんのお兄さんやで。」とよく説明してもらい、ご先祖様の名前や人柄をよく聞かせてもらっていました。
そのときはふーんと聴いていただけでしたが、いまだにその時に聴いた記憶が残っています。
子供の頃から家族に興味があり、保育園児でありながら家族全員の誕生日を覚えて、「おじいちゃんは○月○日、お父さんは○月○日!」と口する度にびっくりされていた幼少期。
大事に育てられるも、私自身はぜんぜんHAPPYではなく、強烈なおばあちゃんを中心に、何か言いたいことを抑えつつ生きている家族に窮屈感を感じ、反抗期も時間をかけて通過。
(家族心理学を学んで気づいたのですが、私は「IP(identified patient)」だったのだと思います。IPとは、その家の問題児担当の人をいいます。感受性豊かな子供がその役割を負うことが多く、問題児が一見、問題の種の様ですが、実は家族を一つのシステムとして見たときにその子はただ「この家は機能不全家族ですよ」というサインを出している、そういう役割なんだそうです)
よく思ったのは、「お友達やいとこのおうちは自由でいいな」「なんでこんな家に生まれてきたんやろう」と。そう思うほどに実家を好きになれませんでした。
また、5歳のときに、大好きでよく懐いていた叔父(母の弟・35歳)がある朝起きてこず、亡くなるという衝撃的なことがあり(中学校の教師をしており、過労死と認定されました)、人は死ぬということを初めて体験。家族・親戚、みんなで悲しみ、その悲しみは大人になっても、しばらく私の中にずっと残っていたように思います。
そんなこんなで、保育園の頃から人間関係に悩み、学生時代もずっと友達関係で悩み続けます。
自分のことも嫌い、劣等感満載、ネガティブで神経質。
「なんで私はこんなに悩むんやろう?」と思うほどで、その気持ちは30歳くらいまで続きます。
短大卒業後、一般企業に就職し、20歳で実家を出ます。
甘やかされて育った私は、またいろんな壁と出会っていくのですが、ふと学生時代の友達に「丸くなったねー」と言われて、確かに!と気づきます。
実家の妙な緊張感から解き放たれ、喧々していたのが穏やかだねー、いつも笑顔だねーと言われるようになりびっくり。
仕事はやりがいと楽しさを感じていた23歳の時、東京に異動の辞令がおりました。それまで田舎の現場で守られていたところから環境の違う現場で挫折。一番つらかった時期であり、自分の能力のなさを思い知りました。
その時に、自分自身について悩み苦しむ中、楽になりたくて答えを求め、本を読む習慣がつきました。
良い人間になるにはどうしたらいいんだろう?
と真剣に考えてた私。今でこそ笑えますが・・・当時は本気で悩んでいました。
そのとき、ある本に出会い、「先祖を大事にする」ことという一文を目にして、「あ!!」とビビッと直感が走りました。そういえば、全然先祖に意識を向けたことがなかったと。
そこから実家に帰る度にお墓参りに率先していくようになり、両親に「なんでそんなに熱心なんや?」と言われるほど。
先祖に意識を向けるようになり、その後もいろいろあって26歳のとき、ある方に家系図を書くことを勧められ、気になり出しました。
そして、家にあるかな?と思って母に電話で聞いてみたのです。
私「お母さん!家系図作りたいんやけど、家にある?」
母「え!!そんなん、ないわー。アンタまた怪しいものに手出して!」
私「(あーぁ。)」
こんな会話になってしまったため、母を頼る事を断念し、自分で家系図作成に大切な資料となる戸籍簿を取得しに、車で関連のある市役所を回りました。
戸籍制度は、明治時代から始まり、現在取得できる一番古い戸籍は「明治19年式戸籍」といいますが、そこには江戸時代末期のご先祖様まで記載されている場合があります。先祖の名前、誕生日、命日、続柄、入籍した日などがわかります。父方、母方、両方、取得できるだけいただいて、私の家系図作成が始まったのです。
さて、東京に帰り、戸籍を読み解き書いていきますが、なんだか一人一人の名前を書くうちに、一人一人、どんな人生だったのか想像してみたり、おばあちゃんは2人兄弟と思ってたけど、赤ちゃんで亡くなった妹がいたことを知ったり、母の妹が2歳で亡くなっているのは知っていましたが命日が私の誕生日と同じことを知って驚いたり、まぁたくさんの先祖がいたことを知って、作成しながら涙が止まらなくなりました。
今まで意識していなかった自分より先に生きていたたくさんのご先祖様を知ることでこんなにも応援してくれる存在がいる!一人じゃなかった・・・と気づき、大変感動したのでした。
また仕事を通じて人の心に興味が沸き、27歳の頃、1年間心理学を学びました。そこで家族療法というものに出会い、自分と重ねて大変納得しました。
当時、まだ自己否定真っ盛りでずーっと頭の上に雲がある状態だった私。人の人間形成・性格形成の基盤は生まれ育った原家族が大きな影響を与えていると知り、嫌いなおばあちゃん、嫌いな実家を思ったのです。
あぁ、だから、私はこんな性格なんだ、と。途方に暮れるかのように悲しくなりました。
ただ、同時に、だからこそ私は家族に近づく必要があると感じ、それから実家に帰るたびにできるだけ嫌がらず、嫌いなおばあちゃんと話し、子供の頃の話などいろーんな質問をしました。
本当に幸せになりたいなら、私が家族を受け入れ、嫌いな気持ちがなくなる事が大切!私のブレイクスルーポイントだと気づいたのです。
いろいろありながらも、その後、27歳のときにコーチングに出会います。
コーチング?何それ?と思いながらも、コーチングをしている方のブログを読み始めたところ、私が悩んでいたことの答えのようなものが書き連ねてあり、ぐんぐんその方に惹かれていきます。
コーチングとは、いろんな定義がありますが、自分自身の本当の気持ちに向き合う時間であり、内省と気付きを促すコミュニケーション。
今まで以上に、自分の心の本音を胡麻化さずに見てみることで、自分のいいところも嫌なところも受け入れ、ようやく本当の自分を生きるられるようになっていくのだと経験しました。
そこで、少し時間があき、29歳頃から勇気を出してコーチングを受けようと、月2回、コーチと話す時間を取るようになりました。
何度も家族ネタをコーチングのテーマに出しながらも、どんどんと実家に対して嫌いな気持ちが薄らいでいきました。
家族の平穏なくして、自分の心の平穏はやって来ない。
後々気づいたのは、家族は究極の自分の鏡なのです。
家族の嫌な部分、嫌いなところは、少なからず自分にもあって、そして、それは自分にとって受け入れ難い、自分にはないものと思いたいところなのですね。
このからくりに、時にはアイタタターと恥ずかしくなりながらも自分を少しずつ受け入れていったのでした。
そして、30歳で10年勤めた会社を退社し、プロコーチの道に進みます。32歳でプロコーチの資格に合格し、パーソナルコーチとして個人を応援する傍ら、
「なぜ、うまくいっている会社の経営者はご先祖を大事にしているのか」著者の天明茂先生が理事長を務める一般社団法人人間力大学校で、経営者の方が家系分析を通じて自身の強みや徳を知り、自分らしい経営を探り実現していく立命塾の事務局を3年間、務めさせていただきました。
35歳で結婚、自然豊かな神奈川県逗子市に夫と暮らし、家庭を育み、衣食住を整えつつ、コーチングや家系図で人のコアに触れられる喜びを感じながら生きています。
生きること、食べること、命をつなぐこと、自然と調和しながら暮らしを楽しむことを身を持って実践中です。


